ピアニスト 黒田映李のオフィシャルウェブサイトです。

Biography

バイオグラフィー

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~回顧録風プロフィール~

2歳よりピアノを弾き始める。

2歳よりピアノを弾き始める。

ピアノを弾く母の元に生まれる。
「聴こえてきたものを弾く」ことには、早生まれで様々な物事についていけなかった中で唯一の自信を感じる。幼稚舎では音楽の先生と色んな歌を様々な調性で歌ったり弾いたりさせてもらったことが嬉しく、「スーパーの屋上から見た夕日が綺麗だった。音楽が聴こえた。」と、折り紙の裏に絵付き手紙を拵えて渡したことがある。

2歳よりピアノを弾き始める。

高校普通科を卒業後、桐朋学園大学音楽学部演奏学科ピアノ科卒業。
中学校高校音楽教員免許取得。

四国から出てきて始まった大学生活では、レベルの差を実感することが多々。高い目標を探してストイックに学ぶよう努力しようと試みる。ハリーポッター好きからイギリスに憧れていたけれど、いつの間にかドイツ留学を掲げてドイツ語を学ぶようになる。

その後ドイツへ渡り、2006年ニュルンベルク音楽大学ピアノ科首席卒業。
2008年同大学院マイスター課程を修了。

ピアニスト・ヴォルフガング・マンツ氏の元では、ピアニストの強靭な精神力と演奏家の在り方をまっすぐに教わる。また、レベルの高い各国からの同門生に世界レベルの刺激を受け圧倒され、意地になり練習を積むことを覚え、数多くの本番を経験する。

ニュルンベルク音楽大学ピアノ科首席卒業。

引き続きオーストリアへ渡り、ウィーンを拠点にソロ・室内楽と研鑽を積みながら、演奏活動を行う。

奨学金を頂く機会を得て、引き続き学ぶ進路を取ることとなる。
リンツのへメッツヴェルガ-教授の元では、インスピレーションから音を紡いでいく自己演奏スタイルを完全に確立させてもらい、のびのび我が道を行くようになる。同時にウィーンにてクラリネット、ヴィオラとトリオを結成させてもらい室内楽を学び、バランス感覚を養う。

その後、ピアニスト・クリストファー・ヒンターフーバー氏に定期的にレッスンを受ける中で熱い音楽を確実に抽出する技法を学び、ピアニスト・ミラーナ・チェルニャフスカ氏の元では、ロシア物と女流音楽家としての生き方を学んで感銘を受ける。基礎力、分析力からの音楽がインスピレーションと一致するよう、地道な力を養う為、同時期に御木本メソッドを山本光代氏から集中的に学ぶ。
ウィーンで浴びるように聴いた巨匠達の音楽に刺激をもらい、音楽家としてのあり方を学び深める。

ウィーンウィーン

幼い頃から様々なコンクールに挑戦し、留学後は各国で開かれている国際コンクールに出場、マスタークラス受講。

留学してからチャレンジを始めた国際コンクール。遠征先は主にスペイン、イタリアで、田舎町にてヒッチハイクや地図のない旅も多く経験する。国際コンクールはプランニングと体力勝負だと学び、そこで出会った音楽家・友人達、ホストファミリーとのご縁は尊い。

ソロ、室内楽、歌曲伴奏者として国内外で演奏。

初めて協奏曲を弾いた時にオーケストラスコアに深く興味を持ち、読み説くことを楽しみ始める。ウィーンでは指揮伴奏も少し経験。リート伴奏を通じては、歌詞と音の結びつき、響きと弱音を探究。

ソロ、室内楽、歌曲伴奏者として国内外で演奏

ニュルンベルクではシュタイナー教育、オイリュトミーの伴奏者として活動経験がある。

情操教育や音楽造形に興味関心を強く持つようになる。

2004年より後進の指導にあたっている。

ドイツやオーストリアでの指導経験からは、教育制度や様々な家庭のあり方、音楽との向き合い方などを学ぶ。帰国後は子供から大人の生徒さん、初心者から受験生と、幅広く音楽指導をしている。

2004年より後進の指導

コンクール審査、トークを交えた学校・施設訪問コンサート等も意欲的に行っている。

審査では様々な音楽を聴かせていただき、コンテスタントに学びをいただいている。Blue-T室内楽コンクールは立ち上げから携わり、続けて審査員や奏者のコーディネートを行っている。
学校訪問コンサートは継続で同じ学校へ伺う機会に、交流を重ねられること、音楽共有を深められることに喜びを感じている。

2018年、デビュー10周年ソロリサイタルを東京文化会館、松山市民会館にて開催。音楽雑誌にて好評を博す。

シューベルト、ベートーヴェン、シューベルト=リスト、ブラームス(東京公演のみ)、バッハ=ブゾーニ(愛媛公演のみ)の中にファリャを並べて、バレンタインを彩るコンサート"Liebe"を開催。お客様の温かさに、そして作品の偉大さ、とりわけシューベルトの旋律には自身が癒されることとなる。

リサイタル前に10年ぶりに助言をくださったのは、故・杉谷昭子氏(ピアニスト)。小さな頃に何度かレッスンを受け、イタリアのコンクールで審査くださっている場で再会し、帰国後も再会。音楽人生の節目にいつも励ましと温かなお言葉をくださる存在となった。

2020年より執筆活動を行い、愛媛県より愛媛・伊予観光大使の委嘱を受ける。

愛媛新聞の「四季録」にて半年間のコラム執筆。週に一度やってくる土曜日へ向けて、自分のこと、音楽のこと、ヨーロッパのことを綴った。現在も集英社新書プラスにて、執筆活動を継続させていただいている。

言語と音律の共通項には以前から関心があり、シューベルトやハイドンの旋律のように言葉を組んで、ブラームスの多楽章ソナタのように段落を組み立てる。自分を多角的に分析しすぎてしまい、思いを真っ直ぐに綴りきれない所が悩み。

道後温泉のまちづくりに音楽で携わらせていただく機会では、正岡子規や夏目漱石、一遍上人といった歴史上の人物とクラシック音楽の交わり方を探究。一つのコラボレーション・コンサートの様に地元の方々と演奏会を継続的に創り上げている。

その第1回目となった一遍上人生誕の地・道後は宝厳寺復興チャリティーでは、火災から復元建設途中の本堂にて、ハイドン、バッハ、チャイコフスキー、ドボルザーク、ブラームスの作品をピアノトリオ演奏。雨の音と虫の声に調和して、記憶に残る音楽会を弾かせていただいた。
この幻想的なチャリティの様子は全国ニュースに取り上げられる。

雨の中の野外コンサートということで、ヴァイオリン、チェロ、ピアノが全力で湿度と闘った記念日でもあった。

翌年は落慶法要後、完成した本堂でこけら落とし演奏。

松山、内子、八幡浜、西条、野村、宇和島。

様々な形で故郷愛媛の方々と音楽で繋がらせていただき、帰国後の海外アーティストとの繋がりや機会も大切に、音楽活動、執筆活動を展開している。

2017年にプライベート通訳でつかせていただいた故・エディタ・グルベローヴァ氏が、空港への車中にくださったお言葉。

「音楽は人を癒す力があるわね。人の死に際した時、私は歌に何度も何度も救われて癒されてきた。特にモーツァルトの作品は純粋で、心からの音楽で直にリンクするものがあって、彼は本当に天才だとそんな体験を通じて思う。」